crescent moon<2nd site>

〜むぅんのひとりごと〜
あくまでも持論。
どうして私は脚の関節ばかりではなく肩や肘の関節までもが壊れるのか。
はっきりとした原因は特定されていません。

内科的な病気を調べてもシロでしたので
やはり関節の出来が悪かったとしか言えないのかも知れません。

私は自分で体が固いと思い込んでいました。

それは胡座がかけないこと、脚の開く角度が狭いこと、
体が後ろに反らないこと、
その3点からそう思ったのですが
よくよく思い起こせば、それ以外のところは
人から気持ち悪がられるくらい柔らかかったのです。

例えば、手の先を強めにブラブラさせると、指が手首に着きましたし
指を反らせると甲の側は手首と平行になるくらい反りました。

かかとを地面に着けたまま膝を抱えて小さく屈んだ状態で 何時間でも座っていられたくらい足首も柔らかかったし
体育の授業でよくやるアキレス腱伸ばしの体操をするその意味がわかりませんでした。
(足首を深く曲げてもどこも伸びた感じがしなかったから)

体前屈は開脚しなければおでこは膝につきました。


要するに硬かったのは股関節周りだけだったのです。


母は体が柔らかく学生時代体操の選手でしたし
従姉妹たちも皆体は柔らかいのです。

私は赤ちゃんの時に股関節脱臼をしていませんし
赤ちゃんの時はちゃんと赤ちゃんらしくガニ股に座っている写真が残っています。

しかし、すでに4歳の頃には幼稚園でお遊戯の練習の時、
胡座ができずに教室から逃げ出した記憶があり、
一年生のときには遠足で友達がしている横座りを真似してもできませんでした。

では、なぜ私の股関節周りは硬くなったのか…

これはあくまで私の持論ですが…


私が逆子であったことで、生まれつき脚の形成に何らかの異常があったのかも…
また、当時三角オムツを当てられていたことや
さらしの紐で脚を伸ばした状態で長期間おぶわれていたことも影響したか?
(年の近いヤンチャな兄がいて、私はおとなしい子どもだったので)

女の子座り(お尻を床に落として足首を外に出す座り方)を続けていたこと。
もしかしたらいつもサイズの合わない靴をはかされていたことも
膝や足首に影響していたか?

関節が柔らかい、というか、緩い状態だったから、
固定されることや間違った習慣が変形を招いたのではないかと思っているのです。

膝関節は明らかに股関節からくる負担、
肩や肘は弱い脚を助けるために荷重がかかったのではないか、

足首は関節の緩さと股関節の脚のつき方の悪さが影響して、くじき易かったのでは? おまけに骨自体は丈夫で硬く、筋肉が付きにくい体質なので
筋力が重い骨や太った体を支えきれなくて、関節に負担がかかったのではないかと思っています。

持論を先生に聞いてもらったことはありますが、
それらは可能性としてはあるけれど、どれか一つのせいではなく
いろんな複合的な理由があってこうなったのは仕方のないことで、
私と同じ育て方をされた人が必ずしも皆関節が悪くなった訳ではない、
三角おむつやさらしの帯も当時の常識だったのだし、
何かのせいにはできないよ、と言われました。

おっしゃる通り、仕方のないこと。

できる予防をして、起きたことに対処していくしかない、と。


何かが起きるとその理由が知りたくなります。
でも例えばガンになったとして、原因はガン細胞だとわかっても、
ではそれがどうしてその人に、というところまではなかなかわからないのと同じなのでしょうね…

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シャットアウト。
体中が痛い。

買い物も一人では厳しい。
家事もつらい。半ベソかきながらやっている。

徒歩3分のスーパーに車で行く。
荷物が持てないから毎日少しずつ買いに行く。

車に乗り込む時も痛い、ハンドルを回すのが痛い。
降りる時ドアが重くて肩に響く。
駐車の時のパーキングブレーキは右足で踏まなくちゃならない。

直線をまっすぐ走る分には問題はないが…


歩くってこんなに難しいことだったっけ?

白髪の小さなお婆ちゃんに追い越される…
子育てに一段落した友達はみんな仕事をしてる、旅に出てる…溌剌としてる。

置いてきぼり…

なんか…

なんか…

ものすごく辛い。


リア充、っていうの?
そういう人が羨ましい。いや、恨めしい。

元気な友達に会いたくない。
だから入院のことを話した友達は一人だけ。

Facebookの通知はオフにした。

どんな報告も「イイね」なんて思えないから。

なんで私だけこんなに痛いの?


過去の自分の前向きな投稿すら見たくない。


もう少しだ…

もう少しできっと少しは楽になるはず。

せめて…歩きたい。
人から遅れをとることなく歩きたい。

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あの頃の私へ。
目覚ましのアラームが鳴る前にこんなに穏やかな気持ちで目覚めたのは、随分と久しぶりのことだ。

目が覚める直前に、私はこんな夢を見ていた。


私は友達の家で別の友達と三人でお茶を飲んでいた。
その家にはピアノがあり、近所の子供たちが遊びに来ていて代わる代わる自分のピアノの腕前を披露していた。

次はちょっと地味な感じでおとなしそうな女の子の番だ…
私もその子の母親を知っていて、その母親というのはママ友の間でも評判の美人だ。
だけど、その子は少しも母親の持つ華やかさがない。

なのに私の友達はたどたどしい指使いでピアノに向かうその子にこう言った…

「○○ちゃん、上手ねー。最近ちょっとお母さんに似てきたんじゃない? きっと大きくなったらお母さんみたいに美人さんになるわよー。」

母親が美人だ、あなたはお父さん似だ…

そう何度も言われてきたその子は、
つまり私は可愛くないと思っているのだ。
初めてお母さんに似ていると言われたことに戸惑っている。

その子に友達はまたこう言った…

「あら、ホントよ。目元とか、よく似てる。」

褒めているのに喜ばないその子にもう一人の友達が言った…

「○○ちゃん、褒め言葉はその言葉通りに受け止めなさい。
それは褒めすぎたとか、そんなことはないとか思っても
そういう良いところが少しは私にもあるんだと思って受け止めれば
少しずつそれが自信になって、だんだんそういう人になっていくんだよ。
自信を持ちなさい、あなた、こんなに可愛いんだから。」

女の子の顔がばーっと明るくなり、ピアノの音も力強くなった。


そこで私は目が覚めた。


夢の中の登場人物は実際には知らない架空の人物だったけど、
おそらくあの女の子は幼い頃の私だろう…

滅多に褒められることのなかった私は
たまに褒めてもらえることがあっても
その人のことを疑うだけだった。

またいい加減なこと言って…
口から出まかせに決まってる…
人を良い気にさせてどうするつもり?
私なんかが褒められる訳ない…


そう、「私なんか…」思春期の頃までいつもそう思っていた。

そして夢の中の友達は私自身だったのだろう。
あの頃の自分に言ってやりたい今の私の心の現れ。

もしも幼い頃の私が今の私に出会っていたら、私はどんな私になっていたのだろう。

もう少し努力のできるマシな人生を送っていたかも知れないけど
もしかしたら逆に、根拠のない自信だけを持ついい加減な人間になっていたかもしれないのかもね(笑)。

(ちなみに私の母が夢の中のような美人だった訳ではありません(笑)。)
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長い長いお箸の先に…。
(前にもどこかに書いた気がするけど…)


以前お寺のお坊さんに聞いた天国と地獄のお話。


天国と地獄は実は同じところにあり、
いつもうららかな天気でお花も咲いていて
美味しいものもたくさんあるのだという。

でもこの世と違うのは食事の時のルールで
とてもとても長いお箸を使って食べなくてはいけないというのだ。

お箸が長いので自分ではそれを使って食べられない。
だから、お互い相手を思いやって自分のお箸で他の人に食べさせてあげ
自分もまた誰かに食べさせてもらう。

そうやってお互いを大切に思い感謝の気持ちで暮らせる人には
そこが天国になるのだ。

反対に、自分のことしか考えられず他人に食べ物を与えることをせず
人からの施しも受けず、
一人で食べるには無理な長いお箸で食べようとしても食べられず
物を奪い合い、人を憎みながら暮らす者にとってはそこは地獄になるのだ。

もしかしたら今生きているこの世こそがあの世で
天国であったり地獄であったりするのかも知れないとも思う。


実は…

身近に精神を病んでしまった人がいて
ときどきその人に翻弄されることがある。
悪いのは人のせい、と
自分の行動を棚に上げて相手を責め
時には暴力をふるい
都合が悪くなると記憶に無いと言う。

何を言っても聞く耳を持たず、
自暴自棄になり泣き叫ぶその人を見るたび
その人にとってここは地獄なのかも知れないと思えるのだ…

でもその人の心の中がすべて鬼と化している訳ではないのはわかる…
気を荒くした時、投げつける物は
投げても壊れない物ばかりだし
誰も居ない方へ投げているんだ。
たまたまうっかり誰かに当たってしまった時は
しまった!という表情も見せる。

なんとかしてその人の心に残っている優しさを引き出して
この世が天国だと思わせてあげたい…。


季節の移ろいを楽しんで欲しい
人の優しさに気づいて欲しい
誰かの役に立つことの喜びを知って欲しい

その人の家族と一緒に
今はただ根気強く
長いお箸の使い方を教えていくしかない。
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嘘でも…いいや。
いつもお世話になっているお宅へ一時帰国中の夫と訪問する前に
ご進物用の和菓子を売る地元の老舗店へ行った。

そこで忘れ物に気がついたので私がお菓子を買っている間に
夫は車で家に戻った。

お菓子を買い終わり夫が来るのをお店の前のベンチで待っていると
私の親ぐらいの年頃の男性が隣でタバコを吸ってもいいかと声をかけてきたので
そもそもそこは喫煙席として設けてある所だったから
灰皿に近い私が座っていた場所を譲った。

秋めいてきた高い空に吹く風が心地よく、
私は彼に「今日は気持ちいいお天気ですね」と話しかけた。

すると、始めは私に話しかけられたことに驚いたような顔をしていたが
彼は自分がこの場所に至るまでのことをつぶやくように語りはじめた…


勤めていた大阪の会社が倒産してしまい
1月の末に大阪を出てここまで歩いて来た。
今や自分の身よりの者も生まれ故郷の青森にはないけれど
あてもなく北を目指していたところ、
自分のような人物を住まわせてくれる施設がここの市にはあると聞いてきたらしく、
お巡りさんに相談してついさっき市役所に連れて行ってもらった所なのだそうだ。

しかしその施設に入り生活保護を受けるには
身元保証人に書類を書いてもらわないと入れないと言われたので
やはりどのみち子ども時代を過ごした八戸には行かなくてはならない…
でももう持っていたお金も尽きて、
勤めていた会社にも倒産したのだから貸せる金はないと言われ
お巡りさんにも身分証明もない人に貸すわけにもいかないと言われた。
残っているのはこのタバコだけになってしまった…

時々スーパーマーケットの休憩所のようなところで水を飲ませて貰ってるけど
実はもう3日何も食べていない、
スーパーの試食も迷惑になるからもらえない…と、途方に暮れていたところだった、と言うのだ。


その話がどこまで本当かはわからない。
彼の声には大阪弁も青森訛りもないし
荷物はレジ袋に包まれた片手で持てる大きさの物が一つだけ。

まったくの嘘かも知れないけれど
少しも困っていない人ならそんな作り話をすることに何の意味があるだろうか。

確かなのは彼が以前は力仕事をしていただろうとわかるような
細いけれど年の割に力がありそうに見える体躯であることと
下の歯が前の二本しか見えないこと。
裕福ではないことは見た目に出ている。


彼は私に何か施しを求めてくるわけでもなく
タバコを吸い終わると
「すみません、変な話を聞かせちゃったね、じゃあ…」と去ろうとした。

ホントの話なら大変な苦労だ。
でもホントである証明はない
嘘を固めて同情を買う策なのかもしれない…


「おじさん、これで何かお腹の足しになる物でも買って!」
と、私は咄嗟に500円玉を一つ彼に差し出した。

彼は驚いたように、いや、そんなつもりじゃなかったと拒もうとしたので
「少しでゴメンね、おにぎりくらいしか買えないけどさ」と言ったら
「ありがとうございます、何か食べさせてもらいます」と頭を下げながら受け取った。

嘘でもいいと思った。
むしろ嘘ならいいと思った。

これから寒くなる北国に彼がどうやって行くのだろうと思うと
気の毒になる。

私から見えなくなったところで、
「しめしめ、今日のタバコ代ができたぞ」と
自販機に500円玉を入れていてくれてたらいいのに、と思った。
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つながり…
母の姉の旦那さまである伯父が亡くなったので
お通夜に参列するため杉並の斎場へ行ってきた。

伯父とは血のつながりはないけれど子どもの頃にとても私を可愛がってくれたし
とても優しい人なので、
たくさんいる私の「親戚のおじさん」のうち
一番好きなおじさんだったかもしれない。

子どもがなかった伯父は自分のお兄さんの息子さんに看取られ
その方が喪主もつとめてくださった。

その喪主の方の息子さんが受付をされていたのだけれど、
伯父と似たような黒ぶちの眼鏡をかけてたお顔が
伯父の若い頃によく似ていて
初めて会った人なのにすごく懐かしさを感じた。

母の姉の連れ合いの兄の孫…
遠いけど確かにあるつながり。
初対面なのに初めて会った気がしない人って
こんなふうにどこかで繋がってるのかもしれないね。


いや、昨日すれ違っただけの人も
明日初めて会うかも知れない人も、
みんなどこかで繋がってる遠い遠い親戚のようにも思えてくる。

おじさん…そう思って出会った人を大切に思うことにしてみるよ。
おじさんのように優しい人になるって誓うよ…


もっと話したかったな…
いろいろ有り難う…

どうぞ安らかに…あちらでまた伯母さんと仲良くしてね。



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限られた時間。
夫が単身赴任してから2年半、何度か帰国することはあったけど
今回のように長い逆出張は初めてで
3週間うちに寝泊まりしても平日は仕事なので
一日中まるまる家に居られるのは正味4日。

壊れたところを直してもらったり
ヒーターをしまって扇風機を出してもらったり
伸び放題のバラを刈り込んでもらったり、
電気製品の配置換えをしてもらったり…


はい、次は何する?
じゃ、次はね……

もともと手先は器用で炊事洗濯以外の家事はできる人だが
次から次へと用事を頼む私に
イヤな顔一つせず、日本での貴重な休日を
ほとんど家事に費やしてくれた。

単身赴任が決まった頃は漠然とした不安があったけど
夫がいないことに慣れると
作るご飯も洗濯物の量も少ないことや
時々あったmimiと夫がぶつかる声も聞かなくて済むことなど
気楽なこともあるにはあった。

だけど一人で決断しなくてはならないことも増えたし
洗車も給油も冬の間の重たい灯油の購入も私がしなくちゃならなくなったし
だんだん日曜日に買い物をしに出かけることも寂しく思えたりしてきた。

だって…日曜日のスーパーにはよそのお父さんがたくさんいて
重たい荷物を運んでるお母さんは私だけのような気がしてしまうから。

休日は4日しかない。
あれもこれもしてもらわなくちゃ…
ご飯は何を作ってあげようか…

日本を、我が家を堪能して
3週間で少しでも英気を養って貰おう。


あと3週間…
あと2週間…
あと1週間…毎日がカウントダウン。
次の土曜にはまた中国へ行ってしまう…

なんだかとても毎日が大切に思えてくる…

二十歳の頃から付き合い初めて
30年余り一緒に過ごしてきた私たち。
平均的な寿命まで生きられるとするならば
残りの時間も30年くらいなのかな…

当たり前のことだけど、
時間には限りがあることを
今ひしひしと感じている。


あと30年…毎年が、毎日が、カウントダウン…


もちろん残りの時間が30年有る保証はないし
もっと長いかも知れない。

確かなのは限りはある、ということだけ。
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家の顔。
この家に引っ越してきて11年、
今日やっと表札がつきました^_^;

表札をつくらないとね、と最初に考えた頃に気に入っていたものは
私たちにはとても高価で、
サイズも我が家の門には合わなくて
でもそれ以外のものが目に入らないくらい
夫婦そろって気に入っていて
それを諦めてから私たち夫婦の意見が一致するものに出会えませんでした。

気に入らないものを家の顔にするくらいなら
いっそどうでもいいいかにも間に合わせのものの方がマシに思え
ポストにシールプリントの名字を貼っただけのまま
ずっと11年もやり過ごしてしまいました。

ホームセンターに行くたびに表札コーナーをながめたり
時々ネットで検索をしてみたりしましたが、
そうしょっちゅう新しいデザインのものが出るわけでもなく
なかなか「これだ!」というものは見つかりませんでした。

ところが前回の秋の夫の帰国時、またブラブラと表札コーナーをながめていたら
なんだかずいぶんデザインが増えたようで
やっと夫婦の意見が一致したものがあったので
この春節休暇の帰国に合わせて注文しておきました。


11年…そんなに経ったっけ。。。


この家のスタートは私の実母との同居でした。
そこからここには書かなかったけど波乱の連続。
あの頃は表札どころではなかったけど
今となっては始めから表札をさっさと決めなかったことが
いけなかったのかな、などと思ったりもします。


20日は父の13回目の命日。

母との同居も父が亡くなったことから始まったわけで。。。

母も亡くなってから先月で10年。
表札に私の旧姓も刻むはずだったことも
なかなか表札を決められなかった理由の一つだったかもしれません。

やっとそのゴタゴタも過去のものと思えるようになってきた今、
なんだか表札をつけたことが我が家の再スタートになってくれるような
そんな感じもしています。。。
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もう一度、プロポーズ。
同級生の訃報が届いた。
高校一年生の時のクラスメイトが亡くなった。

その人とは無関係の同い年の友人にその話をしたら
彼女のご主人の友達も亡くなったばかりだと聞いた。
その方も同級生だという。

51才。亡くなるには早すぎる二人。


急に単身赴任中の夫が心配になった。

今朝もメッセージアプリで会話をしたばかりだから
間違いなく生きていてくれているのは確認したけど。


亡くなった方二人はどちらも同級生夫婦。
私のところもだ。


残された奥様の気持ちを想像しようとしただけで胸が痛む。
そしてとても怖くなる。


「ボクは死にましぇん。」


あの有名になったドラマの中のプロポーズの言葉。
今、一番、夫から聞きたい。。。
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おいしいお茶。
本格的に冬になってまいりました。
あったかい飲み物が美味しいです。

お茶とかコーヒーとかって自分でいれるより
人にいれてもらったほうが美味しく感じるのは
どうしてなのでしょうね?

そう感じるのは私だけではないことと思います。


自分でお茶をいれていると、近頃いつもあの時の義母のメールを思い出します。。。


あれは長女kikiの成人式の日のことでした。


kikiを迎えに行っていた私は着付けが予定時間より遅くなり
義父母の方が先に自宅に着いてしまったのです。

寒い中お祝いに来てもらったのにお茶もいれてあげられない。。。

でもそんなこともあろうかと、キッチンにはお茶道具やらコーヒーやら
お茶菓子などを、すぐ出せるように置いてあったので
夫にメールをしてお茶を出すように指図したのです。

男子厨房に入らず。。。

そんなふうに育った夫。
そう育てたのは義母なわけで
義母は息子がお茶をいれてくれるなどと思ってもいなかったのでしょう。

後日送られてきた義母からのメールには
着物姿のkikiを見た感想と私たちのもてなしへのお礼の言葉、
そして初めて息子にいれてもらったお茶が本当に美味しかったと綴られていました。


たいして高級なお茶ではないはずなのに
義母にとっては最高級のお茶を自分でいれるより
初孫のお祝いの日に息子がいれてくれたお茶は格別だったのですね。

その後、夫は単身赴任。。。
食後には当たり前のように私が出していたお茶やコーヒーはもちろん出てこないわけで
人にいれてもらうお茶の美味しさを知ったのか
近頃一緒に居る時は、飲みたくなると
「オレ、コーヒー飲むけど要る?」と
聞いてくれるようになりました。


たった一杯の心にしみたお茶。

そんな思い出がまた今飲むお茶を美味しくさせたりするのしょうね。


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